『最後の誘惑』
この映画は一言でいうと「コンフォート・ゾーン」の話です。
「コンフォート・ゾーン」とは、直訳すれば、「心地いい場所」です。生物学的にいえば恒常性のこと、ホメオスタシスのことです。メンタルの世界で説明するところの「慣れ親しんだ場所(世界)」のことです。人間の体温、平熱が36℃前後であるように、脳と心の中でも「慣れ親しんだ場所」があります。人間は「慣れ親しんだ場所」でのみ最高のパフォーマンスが発揮されるといわれています。時間+場所+機会を「慣れ親しんだ」自分のモノにすると、高いパフォーマンスが発揮されます。わかりやすく説明すれば、サッカーや野球などいうところの「ホームとアウェー」の試合のことです。圧倒的に「慣れ親しんだ場所」である「ホーム」での試合において成績がよいことの説明としてこの「コンフォート・ゾーン」が使われます。さて、パフォーマンス発揮について、もう一つ加えると「コンフォート・ゾーン」=「慣れ親しんだ場所(世界)」で最高のパフォーマンスが発揮されるのですが、別のいい方をすれば、現状の「コンフォート・ゾーン」には本当に実現したい夢や願望はありません。現状の「慣れ親しんだ世界」には、大きな夢や願望は存在しません。つまり「コンフォート・ゾーン」にとどまっている状態では、大きな夢や願望は叶うことはありません。わかりやすく説明すれば、いつも同じ(勝てる)相手と練習試合をし、いつもと同じ「慣れ親しんだ場所で、時間で、内容の練習をしていても、大きな夢や願望はかなわないということです。つまり、大きな夢や願望を叶えるためには、思い切って、この慣れ親しんだ自分の「コンフォート・ゾーン」から出てみることが必要だということです。
さて、この映画『最後の誘惑』でのジーザスは、死の間際まで、自分の願望と欲求の間で振り回され続けている。今際の際でさえ、欲求である(美味しいものを食べ、気持ちのいいベッドで寝て、美しい妻達と楽しく過ごす)「コンフォート・ゾーン」の中にとどまっていることを何度となく繰り返しています。慣れ親しんだ欲望の「コンフォート・ゾーン」に何度も引き戻され、人間ジーザスは何度となくその本当の願望を「コンフォート・ゾーン」とすることができませんでした。本当の願望である「救世主としての役割を担う」という想いは、現状の彼の「コンフォート・ゾーン」にはなく、つねに、自分の現状打破をする必要が人間ジーザスにはありました。なかなか現状の「コンフォート・ゾーン」からでられない彼の回りで起こる大きな力?神?悪魔?からの試練は時として彼の真意ではないかもしれませんが、幾度となく、彼を試し、脅しながら本当のゴールへと「コンフォート・ゾーン」を広げてくれるのでした。
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